こんにちは。Haruです。
今日は、2026年1月3日
昭和の後半のころのお正月のことを懐かしく思い出しています。
私は、いつからお正月概念が固定化されたのだろうか
仕事に追われ、家庭を切り盛りするのに必死だった私は年末ぎりぎりまで仕事でした。
年末できなかった大掃除を休みの間に終わらせたい。
窓ふきをしていた時、昭和前半を凛と生きた実母の叱咤する声でした。
「新年早々、お掃除なんてしちゃいけません!」
その言葉にハッと手を止めました。
当時は「どうして?」と首を傾げたものですが、今なら分かります。
私は、この瞬間「お正月概念」が生まれた
掃除は年末に終わらせ、おせちを用意して三が日はのんびり過ごす。それは単なる縁起担ぎではなく、一年中家族のために立ち働く主婦に与えられた、正当な「休日」なのだと、その時初めて腑に落ちたのでした。
「店が閉まる」のが当たり前だったお正月
昭和の三が日を思い返すと、街全体を包んでいたのは圧倒的な「静寂」でした。スーパーも百貨店も、商店街の個人商店ですら、三日まで休むのが当たり前。街全体が眠りについたような、あの独特の静けさの中には「今は社会全体が休む時なのだ」という、暗黙の了解がありました。
いつのころから、元日から営業する店が溢れ、便利さと引き換えに、私たちは「強制的に休まされる豊かさ」を忘れてしまったのかもしれません。
クリスマスもお正月も変わらない。
どこか休まらない正月に違和感を覚えるのは、私の中にあの昭和の静かなリズムが生きているからでしょう。

3が日主婦業お休みします
あれから私の中で、三が日は「何もしない日」になりました。
その「何もしない」を実現するために、私は普段から掃除を心がけ、年末に慌てない暮らしを維持しています。そして、おせちもしっかりと用意して、私は家族にこう宣言するのです。
「私は三が日、一切の家事をしません」
おせち食材を求めて、年末に韓国へ出かけます。
食材(クルビと韓国餅)を買うためだけに。

おせち料理に込められた「主婦の解放」と「家族の絆」
昭和の三が日におけるおせち料理は、現代とは少し違った意味合いを持っていました。それは、「三が日は火の神様を休ませる」という信仰的な理由と、「普段忙しい主婦を家事から解放する」という現実的な理由から生まれた、保存食としての側面が強かったのです。
年末に母や祖母と一緒におせちの準備を手伝いながら、その知恵と技術、そして家族を想う心を学びました。重箱に詰められた色とりどりの料理は、単なるご馳走ではなく、家族の健康と幸福を願う祈りであり、主婦への感謝の証でもあったのです。
家族親戚との集まりと「ハレの日」の装い
昭和の三が日は、家族や親戚が集まる大切な機会でもありました。普段は離れて暮らす祖父母や叔父叔母、いとこたちが一堂に会し、新年の挨拶を交わし、おせちを囲んで語り合う。それは、子どもたちにとっては、お年玉をもらったり、いとこたちと遊んだりする楽しみな時間でもありました。
そして、三が日には必ず、新しい服や着物を身につけるという習慣もありました。「ハレの日」にふさわしい装いで、神様や家族に新年の訪れを告げる。そんな意識が、心の奥底には今も刻まれています。
昭和の概念を受け継ぐ意味
私は、あえて昭和の「三が日」の概念を受け継ぐことで、自分のアイデンティティを確認し、失われつつある日本の伝統や文化を守ろうとしているのかもしれません。
便利さや効率が優先される現代社会において、私たちに「本当に大切なもの」とは何かを問いかけているようにも思えます。静かに流れる時間の中で、家族との絆を深め、伝統行事の意味を噛みしめる。そんな昭和の三が日の過ごし方は、現代を生きる私たちにとっても、心の安らぎになっています。
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